福岡県立小倉高等学校 明陵同窓会 公式ホームページ

福岡県立小倉高等学校 明陵同窓会

校歌・逍遙歌

校歌・逍遙歌

小倉中学校 校歌

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小倉中学校 校歌 譜面

小倉中学校 校歌 歌詞

歌曲沿革 校歌(中学校)
 第一校歌として選定された経緯を当時の同窓会誌より出口隆治先生の寄稿を抜萃して記す。多野校長着任後、開校記念日に歌うべき校歌なく、志気の振作に資するに由なきを遺憾とせられ、博く卒業生・在校生に投稿を勧誘せしも、締切迄に意に満つるものほとんどあらざりき。以って、更に同僚間の製作も慫慂し、自らも筆を執りて之を試み第三学年片山利吉の歌詞外三種を予選し、無記名のまま音楽教師山内常光教諭に托して随意選択の上作譜を請いたり。
 山内教諭は拙作に譜附して、この(大正)12年5月22日に一先ず校歌として公表するに至れり。此挙僅かに責を塞ぐにすぎず、後の天才を待ちて速かに改作せられんことを希望して止まず。

―創立100周年記念 明陵同窓会会員名簿より抜粋―

小倉高等学校 校歌

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小倉高等学校 校歌 譜面

小倉高等学校 校歌 歌詞

歌曲沿革 校歌(高等学校)
 昭和3年、御大典の年であり、又本校創立20周年に当るので第二校歌を選定することとなり卒業生、在校生より募集した歌詞10作を得、選定の結果元永辰夫(第10期卒)松本治彦(第12期卒)両氏の作を当選とし、元永氏のものに多少加筆して音楽学校教授大塚淳氏に作曲を依頼し、第二校歌として選定したもので終戦後歌詞の一部を(殉国を愛国に、文武を文化に)変更して歌っていたが、「文化」は「文武」に戻してほしいという要望が強く、第14代高瀬義則校長(平成8年~10年)の在任中に「文武両道」という校風に鑑み、再び「文武」に戻して歌うことになった。

―創立100周年記念 明陵同窓会会員名簿より抜粋―

逍遙歌

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小倉高等学校 逍遙歌 譜面

小倉高等学校 逍遙歌 歌詞

逍遙歌の由来
 昭和32年、河合校長は創立50周年を迎えるに当り、生徒の気風刷新のため逍遙歌の選定を思いたたれ、在校生よりその作詞を募集。山口憲雄(昭和32年3月卒)の作を当選と決定し、これに加筆して在校生よりその作曲を募集した。
 応募数曲の中より一作を候補として挙げ、更に本校音楽部提出の曲(宮崎昇教諭作)と共にそれぞれ無記名のまま生徒会、職員代表で選んだ。その結果、音楽部提出のものを採用することになり、昭和32年5月開校記念日に逍遙歌として発表した。
 創立80周年に当り、「五十年(いそぢ)」を「八十年(やそぢ)」に改めようという意見が出、語呂もよく合うことから山口氏の了解を得て、正式に歌詞の改定を行った。同時に六番の最終句「青春われに光あり」の部分も、二度繰り返して歌うように改め、ますます情感溢れるものとなった。
 創立90年を迎え「八十年(やそぢ)」という言葉も古くなったので、創立百周年に向けて再度山口憲雄氏にふさわしい歌詞にしてほしいとうかがいを立てたところ、「世紀」という言葉をいただき、2000年ミレニアムに変更することとした。

―創立100周年記念 明陵同窓会会員名簿より抜粋―

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