第一校歌として選定された経緯を当時の同窓会誌より出口隆治先生の寄稿を抜萃して記す。波多野校長着任後、開校記念日に歌うべき校歌なく、志気の振作に資するに由なきを遺憾とせられ、博く卒業生・在校生に投稿を勧誘せしも、締切迄に意に満つるものほとんどあらざりき。以って、更に同僚間の製作も慫慂し、自らも筆を執りて之を試み第三学年片山利吉の歌詞外三種を予選し、無記名のまま音楽教師山内常光教諭に托して随意選択の上作譜を請いたり。山内教諭は拙作に譜附して、この(大正)12年5月22日に一先ず校歌として公表するに至れり。此挙僅かに責を塞ぐにすぎず、後の天才を待ちて速かに改作せられんことを希望して止まず。
―創立100周年記念 明陵同窓会会員名簿より抜粋― |